おかげさまで15周年

おかげさまをもちましてIZOは本日15周年を迎えます。

2006年(平成18年)5月1日に法人化し株式会社IZOになりました。

今年3月に事務所を神戸に移転、変化の年です。

写真は事務所の様子です。10層吹抜けのダイナミックなアトリウムに面しています。
緊急事態宣言中ということもあり、いつでもお越しくださいとはいいにくい状況が続きますが、解除の頃にお披露目できればと思います。

改正建築物省エネ法が令和3年4月に全面施行となりました

改正建築物省エネ法が令和3年4月1日から施行されました。

この改正によって大きく3つの変更点があります。

    1. 中規模のオフィスビル等の基準適合義務の対象への追加
    2. 戸建住宅等の設計者から建築主への説明義務制度の創設
    3. 地方公共団体の条例による省エネ基準の強化

特に2番目については、これまで対象外だった300㎡以下の住宅に対して適用されますので、新築一戸建住宅を設計する際に説明する義務が発生します。

国土交通省のホームページ内に数多く資料が用意されています。
広報ツールには漫画もありました。
ご注文は省エネ住宅ですか?」というものです。
(PDFダウンロードできます)

国土交通省の関連資料(リンクを新しいタブで開きます)

詳しくはこのページを加筆するか、別の記事で紹介していきたいと思います。

事務所移転のお知らせです

平素は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。

さて、このたび弊社は大阪市から神戸市へ移転いたしましたのでご案内申し上げます。

これを機に一同さらに専心努力いたし、ご期待にお応えする決意でございます。
今後とも皆様のご支援ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

まずは略儀ながらご挨拶かたがたご案内申し上げます。

新住所
〒658-0032
兵庫県神戸市東灘区向洋町中6-9
(詳しくはこちら

事務所のお引っ越し:法務手続編

今回事務所を大阪市から神戸市に引っ越ししました。

その引越しでいろんな手続きが発生しました。

ここでは「法人移転登記」について書きます。

法律では「本店移転」になり、登記が必要です。
法務局のホームページから関連ページを開き、そこから「第1 株式会社 > 3 商号・目的の変更、本店移転」を見ます。

スクリーンショット

大阪府から兵庫県への移転のため、「1-14 株式会社本店移転登記申請書(管轄登記所外移転)」にあたりますので、記載例(PDF)をダウンロードして内容を確認してみます。

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単純にこの記載例に従って作成すれば済むので簡単と思っていましたが、いきなり5番目の「1. 登記すべき事項」というところで躓きました。

「別紙のとおりの内容をオンラインにより提出済み」

とあります。なんとこのためにわざわざオンライン申請の手続きをしなくてはならないのか、と諦めてオンライン申請について調べてみたところ、結論だけ申し上げると、Macでは申請ができないことがわかりました。

このままでは登記申請できないではないか。

大阪法務局まで直接行ってみたのですが、目の前にカウンターがあっても事前予約でなければ相談を受け付けないとの張り紙があり、誰もいません。正確にはカウンターには誰もいないと言うことですが。

でも以前の経験から記載例の見本が置いてあり、自由に持ち帰ることができるはずなので探してみるとありました。

これによると、

1. 登記すべき事項 令和 年 月 日本店移転

本店 神戸市中央区波止場1−1

と書くだけでOKです。
別添の資料も不要でした。

ここさえクリアすればあとは難しい書類はありません。

登記申請は、事後申請のため、議事録など書類作成を先に済ませておく必要があります。
私たちの場合、株主総会議事録(臨時株主総会)、株主リスト、取締役の決議書の3つが必要でした。

作成に際し、実は頭を悩ませてしまったのが、移転先の住所です。

もちろん住所は決まっていますが、それをどう書くか、ということです。

大阪法務局にあったサンプルを見ると、移転前の住所は「大阪市中央区谷町二丁目1番17号」と記載しているのに対し移転後は「神戸市中央区波止場1−1」とあります。つまり、「神戸市中央区波止場1番1号」とは書いてない。略した書き方でもいいのか、ということと、登記の住所は番地まで書かなくてもいいということらしく(これは自宅を本店登記する場合の個人情報保護ということもありますし、大規模事務所の場合、ビル内で移転があっても都度変更登記をしなくて済むように)どこまで記載するのかというものあります。
そこで、できるだけ省いて記載してもしも指摘を受ければ訂正しようかとちょっと手抜きの考え方でいました。

移転登記の手続きは、移転前の管轄区域に申請します。つまり大阪法務局への提出です。で、問い合わせてみると、それは神戸に聞いてくれという話でした。で、神戸に問い合わせると、「私たちは株主総会で決議された記載の通りに手続きします」という回答でした。

つまりは例えて書くと、

    • 一丁目2番3号
    • 1丁目2-3
    • 1-2-3
    • 1-2

どれでもいいということでした。
これをもうちょっと前に知っていれば、代表取締役の住所をもっと簡単にすればよかったと悔やんでしまいました。

本店移転が済むと、次は社会保険の移転と一級建築士事務所の移転に続きます。

IT重説が解禁されました

令和2年5月1日付で国土交通省住宅局建築指導課によって「新型コロナウイルス感染症対策のため、暫定的な措置として、建築士法に基づく重要事項説明について、対面ではない、ITを活用した実施が可能となりました」がプレスリリースされました。

この報道発表には「ITを活用した建築士法に基づく重要事項説明暫定運用指針」という題名の別紙が1枚ついてるのみでしたが、今年(令和3年1月18日)に暫定的ではなくなったというものです。

詳しくは下掲のPDFに書かれている通りですが、少し内容を紹介します。

という前に、そもそも IT重説とはなんだ? ということですが、で、その前に重説ってなんだ? ということですが。

ざっくり簡単に書くと、建築士が業務を行なうために作られた建築士法という法律があります。設計契約を交わす前に建築士は建築主に対して重要事項説明しなさいという条文がそのなかに書かれています。これが重説ですね。「建築士法第24条の7(重要事項の説明)」という条文で平成20年11月28日に施行されました。これを行なわないと契約ができないという縛りのあるもので、任意ではなく義務となる法律です。

コロナ禍で対面が難しくなり暫定的にスカイプなどのテレビ電話での実施(このことを「IT重説」と名づけています)が認められていたものが、ついに恒久的にできるようになったということです。

今回発表された実施マニュアルは11ページで具体的なIT重説の方法が記されています。

それによると、Microsoft Teams、Zoom、Skype、Google Meet、LINE、iPhoneのFacetimeでも可能になりました。

ただ、ちょっと面倒なのが、重要事項説明書を事前に送付しておくことが必要とあります。PDFファイルをメールで送信するだけではだめで、書類を送らないといけないようです。これは建築士法に「書面を交付」とあるからだと思います。

と書くと、そもそも対面でなければできないのかと思いますが、法文に書面を交付という言葉ともうひとつ建築士が建築士免許を提示しなければならないという文言があるために対面であることとなっていたのだと思います。

実施マニュアルの6ページめに「双方で表情を確認しつつ行う必要があります」と書かれていますが、IT重説でなく、対面重説だと今のコロナ禍では双方マスクしてるやんと思うけどどうなんだろかと思ったりしますね。

また、資料を読んで「そうやったんか!」と思ったことがありました。

建築士が建築士免許を提示するときは、建築士の個人情報保護の観点から、顔写真、氏名、登録番号がわかればよく、生年月日はシールを貼ってもいいそうです。これ知りませんでした。

上はネットでみつけた免許証の見本です。

日経アーキテクチュアにあった画像です。

下は今回発表されたPDFです。役所の文書はタイトルが長い。

クリックして001382861.pdfにアクセス

トップ画像はフリーイラストです。手抜きしてしまいました。

朝顔の追加報告

咲きました〜🎶

白色の名『暁の光』。
待ち望んでいたことが実現したらいいナァ💕

赤色の名『浜の混合』。
笹を背にパワーアップします!

先に咲いた小さい朝顔は『星の混合』です。

朝顔が咲いた!

この夏初めての朝顔が咲いていた!
うっかり見逃すとこやったァ
可愛いい〜
つぼみは明日咲きそう♬

大輪の朝顔も待ち遠しい!
夏よ来い!

夏越の大祓

今日の雨を予測して
昨日坐摩神社(いかすりじんじゃ)へ

大きな茅の輪をくぐり
無病息災・延命長寿を祈願!


もうひとつ大事な願い事を!

茅の輪をくぐった時ほのかな草の香りがしました〜

何かと不自由なことの多い「新しい日常」に「好き」を見つけて暮らしたい!

今年も境内の紫陽花がきれいでした。

春彼岸

推定で樹齢300年の山桃はこの日も堂々としてしっかり根を張っていました。
昨日ようやく両親に式典の報告ができました。
令和2年2月22日
竜笛(りゅうてき)の演奏が始まると会場に
あの世からの先祖の皆さんが次々に集まってこられました。(多分……)
「式には着物で来てほしい」と兄の希望があり母の和箪笥の整理をしたところ
初めて見る着物が出てきました。
これを着て行きなさい!とまるで準備されてたようです。
和服の知識のない私を友人が支えてくれて無事に母の幅広の着物を着ていくことができました。
須賀さん!上手に着付けてくれてありがとう~ 感謝!
(松田加代子)

昭和の暮らし

兄が昭和30年ころに住んでた家のスケッチを送ってきたので微かに記憶が蘇ってきました。
工場の空き地は野菜中心で、玄関の横の庭は、花が主だったように思います。
農家出身の父は、野菜づくりお手の物。花が大好きだった母のために作っていたのかしら……。
自給自足の生活が普通だった時代でしょうか。
ラッキーという名の雑種犬が番犬として飼われてましたが一緒に散歩した記憶がありません。
本当に可哀想なことしました。
鶏?……全く覚えがありません。
きっと早朝から煩く鳴くので近所迷惑だったのか? 私たちのお腹に入ったんじゃないかしらん。
卵かけご飯の時、兄と父は1個。私と母は半分こでした。悔しくて泣いたこと覚えてます。
事務所の向かいには魚屋さんの家族がいていつも一緒に遊んでました。
野菜畑の前の空き地は大工さんの木材置き場になっていて、木片や木っ端があって積み木やままごとをした記憶があります。
こんな小さな家2階建ての家に7人家族が積んでいて、お客さんは結構長く泊まっていました。
私が小学生の頃は坪庭の所にお風呂ができで五右衛門風呂に入るのが怖かった思い出があります。
台所の納屋の前に洗い出しの流しがあって、その隣に氷冷蔵庫。
牛乳屋さんが毎朝3本配達してくれてました。
3歳の私と家族の記念写真(前列左より兄と私と父 後列の祖父は仕事から帰ると必ず着物)
祖父の妹で池袋のおばちゃんが里帰りをしたので、姫路に嫁いでる末っ子のおばちゃんが会いに来ました。
妹は母のお腹の中でした。この年の暮れに妹ができて7人家族になりました。
(松田加代子)